フランスに来る前、私はイタリアに住んでいました。
イタリア人と仕事もしましたし、子供を通してイタリア人ママ友デビュ-も飾りました。濃密家族付き合いだって・・・
余談ですが、家族、この言葉の定義は私の夫一族では海の底のように深く、夫の祖父母の兄弟、その子供たち、義母の妹のご主人の家族 + αと果てしない数の人間が登場し、誰が誰だか覚えきれない感じでした( ´∀` )
根がやさしく、楽天的で、直感型人生を生きるイタリア人は、発する言葉も深く考えて発話するというより、その時の気持ちを言葉化して即座に発する人が多いなというのが私の感想です。
この間は真逆のことを言っていたのに、なぜ今は違う意見?
それは柔軟な頭で良い方へと方向転換しただけのことということになります。
他の先生も書いておられましたが、集団より個が主体である西欧社会の中において、イタリア人の自分の主張を伝えきる姿勢はとても強いように感じました。
イタリア人の会話はボクシングみたいだなと常々私は感じています。
パンチ(言葉)を繰り出し、自分の言いたいことがあるときには連続パンチ・パンチのように、相手の言葉をさえぎってでもマシンガンのように繰り出します。
学校の懇談会でも、出席者の半数ぐらいが同時に自分の主張を叫んでいる時もあります。
こういったスポ-ツ会話の世界では、時にはナイフのように鋭い失礼な言葉も飛んできます。
でもこれは彼らの世界では普通の言葉のやりとりであって、意図的にしているわけではないということに気が付きました。
ですので、例え私が傷ついた、怒ったと感じたとしても、それは彼らがその一瞬の場面で私の視点から失礼だっただけであって、3秒後には何があったか忘れていて、彼らはいつもの優しい、感じのいい人達です。
それでも、一瞬の失礼な相手の強烈パンチに、あえて反撃パンチをさらっと繰り出すとすれば、”笑顔で”
You are being rude !
とでも一発かましましょうか?
ただし、いつでも失礼な人もいます。いつ会っても不快な会話に発展してしまう人、そういう人には
You are rude !
beingがあるとないとでは、微妙な違いになるの、わかりますか?
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