日本文学を専攻し、卒業論文は『人魚』の考察。
そんな面白い人が、西欧と日本の人魚、その違いについて話してくれました。
まず、私たちが知っている人魚は、だいたいがアンデルセンの『人魚姫』ではないでしょうか。ディズニー映画の影響もあってか、私も圧倒的に「人魚」イコール「プリンセス」のイメージです。
ところが、日本での人魚と言えば、半魚人の妖怪。真意は定かではありませんが、ミイラ化したものも現存しており、お寺に代々大切に祭られているものもあります。恋が成就することなく海の泡となって消えるという儚さ、そういったものは感じられません。
あくまでも、妖怪の一種です。
どうして、取扱いにこうも違いが出るのか?
今まで、マーメイドが研究対象だった、なんて人には会ったことがない私はたいそうこの話に引き込まれました。
なぜかくも日本の人魚は恐ろしげな妖怪として描かれているのか?
その答えとは意外なものでした。
長い間航海に出なければならない船乗りたちは全て男性。陸を離れ、何日間も女性に会えません。つまり、人魚とは、そのような男性たちの「女性に会いたい」願望であったと言うのです。
であれば、もっと可愛らしい人魚のほうが良いのではと思うのですが、そこが大変面白い。
女性に会うことばかり考えず、しっかり仕事をしなさい。さもなくば海に落ちて命はありませんよ。そういう戒めらしいのです。
待てよ…。そうなると、人魚姫はプリンセスだけど、セイレーンと言うのも人魚の仲間ではないか。あちらは美しい声で船乗りを誘惑すると言う…。
疑問は尽きません。
彼女の卒業論文を原文で読みたくなったのは、私だけではない…かも?!