憧れはそのままで
私たちのココロに根深くある憧れ、それは「ネイティブスピーカーのように、ぺらぺらと話したい」ではないでしょうか。
今日はこれを”ぺらぺら信仰”と名付けてみます。
かくいう私も、この信仰者でした。
ただ、なかなか簡単にならないことので、よくまとまりのある例文を丸暗記して”ぺらぺら気分”を味わっていました。
しかし、実際にネイティブスピーカーと対峙して話すとなると、これだけでは対応できません。会話ですから、どんな話題が飛び出してくるか予測できないのです。
結果、出だしは良いけど、あとは相手のペース…。そういった会話の展開を何度も体験した私は、ある結論に至りました。
きっと、私の英語も大丈夫。
ぺらぺらじゃないけど。
大切なのは、伝わるかどうか
「このカタカナ英語をどうにかしたい」
「日本人だとすぐにバレるから嫌だ」
こういったご意見もよく聞きます。
しかし、現在の英語は国際共通言語の役割が大きく、もはや一昔前ほど”日本人アクセント”を揶揄する風潮はかなり減っているのではないでしょうか。
もちろん、憧れ、というのは持っていていいとは思うのですが、それは語学学習の一部だと割り切った方が、スキル全体としては伸びるのではないかと思います。
なぜなら、適した場所で適した内容を相手と理解し合う事がなできなければ、それは言語の意味がなくなってしまうからです。
語彙力のパワー
先日、知り合いが悔しそうに話していました。
「英語ができないと会議でバカにされる」
一つのテーマについて喧々諤々する場面において、英語話者の発言に英語で答えられなく、その後その人曰く”自分を無視した状態で”会議が進行してしまったそうです。
なんとも居たたまれない気持ちになりながら、私はアドバイスに困りました。
それは、普段、その人が心血を注いで勉強している語学学習の方向性が実は間違っていたのではと思う節があったからです。
彼は大変真面目に、中学校英語を〇ヵ月で、というようなタイトルのテキストを購入し、さらにそれらを深めるための問題集もそろえ、地道に取り組んでいました。ところがなかなか成果が上がらないので、苦手分野に特化したやはり中高生向けのテキストを熱心に解いていました。しかしそれでも…。こうして数年間、かなり基礎力固めに費やしたわけですが、「言いたいことを言う」その本番で上記のような悲しい結果が何度も繰り返されていました。
私見ですが、これはひとえに語彙を知らなかったことによる悲劇ではないかと思います。
同じ分野に精通している人々が話す、となると、使用される語彙が限定されていきます。それらが扱われている文献、インターネットを介した動画などの情報、それらに早くから触れていれば彼のような状況は免れるのではないかと思います。
つまり、彼が必要としていたのは、中高生が使用する語彙ではなく、研究分野の語彙です。
「そんなのは”基礎”が出来てからでないと無理」
それは誤解だと思います。
最終的に自分が、どの場面で、どのように語学を活用したいのか、それにより方法が異なってくるからです。
漠然と「あ~。流暢に話せていいなぁ。」そう思っても、それは本当にあなたが必要としている技術なのでしょうか。
様々な文献を読みこなし、どんな事が話題となっているのかを潮流をつかむ、それが一番重要なのに”ぺらぺら”のために「発音矯正」することが理にかなっていると言えるのでしょうか。
もっと、自分の英語に自信をもっても良いと思います。
そして、ちょっと難しそう、自分なんてまだまだ、と言わず果敢に原書や英語インタビューなどを日々の学習に取り入れてほしいと思います。