英語で話す、その前に…。
沖縄基地問題について、ある日本の高校が米国の高校生を招いて座談会を開いたことがありました。
その時、日本側の10代生徒たちは米国高校生の意見に何も意見を言えず、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
授業後、どうしてなのか先生が聞きます。
「真剣な問題なのに、足を組んでエラそう。話そうと思えなかった。」
「私が話し始めたら、まばたきもせずじっと見られて怖かった。」
以上の話は、『国際共通語としての英語』鳥飼玖美子著からの一つのエピソードです。
自分の”ふつう”、相手の”ふつう”
このエピソードを読みながら、私もこの高校生と同じ感情をもったなとうなづきました。
”英語で話す”、という異文化体験では、案外こういったノンバーバル・コミュニケーション(言葉以外の伝達手段)が果たす役割は大きいと思います。
上記の例でいうと、”足を組む”というのは失礼には当たりません。
ちなみに、うちの母は先日放映された『徹子の部屋』で小雪さんが出演された折、やはり足を組んで黒柳徹子さんのインタビューに応えておられましたが、なんてことだ、と怒り心頭でした。つまり、日本の文化では「目上の方の前では膝をそろえる」というのが相手を敬っている”当たり前”の作法なのです。
相手を凝視する、というのも、まったく同じような理由です。
もちろん、米国人高校生に悪気はありません。日本では、相手に「あなたの言う事に共感します」の意思表示は、たいがい「うなづき」ではないでしょうか。ぴくりとも動かず、じーっと見つめられる、となると、かなり緊迫した会話内容だと推測されます。聞いてる方は、警戒、という意思表示です。だまされるのでは…。魂胆はなんなのか…。
しかし、英語圏の人々にすると「真剣に聞いていますよ」の意思表示。うなづき、というのはそれほど重要ではないようです。むしろ、失礼にあたる、くらいに考える人もいるそうです。
分かり合える、それは言葉+α
英語を自由に操りたい、と願う方はとても好奇心旺盛な方なのだと思います。
そして、世界中の人と共通の何か(趣味など→バイク、水泳、絵画、化学etc)を通してよりその分野を楽しみたいのではないでしょうか。
その時、言葉と同じくらい助けになるのが、「相手のふつうを知っておく」だと思います。それは、何かの参考書や紀行文を読むこともとても良いと思いますし、道端で出会う外国籍の人々を観察することで得られる知識かもしれません。
その”違い”は、意外とその国の文化的背景を知らせてくれることにもなります。
Enjoy Learning‼
言語の前に、、大事なお話ですね(^^)
息子に毎日?毎食?何度も「食事中左手はお皿に添えなさい」と注意しているのですが、我が家では定番のオチがありまして、、、
私「アメリカでは添えないのがマナーだけどここ日本だから!!!」
息子「じゃあ自分はアメリカ流ということで!笑」
Meg先生、楽しいお話付きのコメントをありがとうございます。とても懐かしいひとコマです。私もよく小さい頃、周りに教えられたなぁと思い出しました。そして、勉強になりました!アメリカ流は手を添えない、がマナーなのですね。