なぜ外国語を学ぶのか。
それがなぜなのか、自分自身でもよく分かっていませんでした。
「可能性が広がるから。」
でも、その「可能性」とは何なのか。
お恥ずかしいのですが、それは単に収入が上がりそうだから、とか人生大逆転のチャンスに恵まれるだろうから、という打算的なものにまみれていたように思います。
その日、私は炎天下の中車を運転していました。
秋田のターシャと呼ばれている、佐々木利子さんのガーデンカフェに行くためです。
意思がなければたどり着けない。
と言われているその場所は、私にとって”秘境の地”のイメージでした。
「目的地周辺です。」
カーナビに言われてスピードを緩めたその道は、大変細く狭く、車一台やっと通れるかどうかです。
行くのか行かないのか?
”秘境の地”。
”意思がなければ辿り着けない。”
…。
私は心を決め、アクセルをゆっくりと踏みました。
ところが…
学ぶ本当の理由。
…。
ガッ。
おかしな音と共に、背筋がスーッとします。
右は石垣。
左は高さ2メートルの土手。
私はこじ開けるように車のドアを薄く開け、外に出ました。
なんと、後輪が脱輪一歩手前。
車は、ある意味芸術的に、土手の上で浮いた形になっています。
前にも、後ろにも、動けません。
時計は、11時。
佐々木利子さんのガーデンカフェには、ランチを予約しています。
車を残し、もと来た道を歩き出します。
心は不安と情けなさでいっぱいです。
どうしてこうなるんだろう。
少し歩くと、エプロンをかけた女性が、誰かと話をしています。
「すみません…困っているのですが。」
事情を話すと、その高齢の女性二人はすぐに応援を呼んでくれました。
農家の方は、お昼の11時は休みの時間。
太陽が高すぎて、戸外の仕事は危険だからです。
右往左往している私を気遣ってくれながら、4人ばかりの男性が軽トラックでものの数分で到着。
土手側から男性2人が車を支え、一人はドライバー、もう一人は「そのまま!左!」など声をかける役割で、その恐ろしいほど細い道から公道まで車を下ろしてくれたのです。
やあ。いがったいがった。
笑顔で話す秋田の人々に頭を下げますが、みなさん、一様に同じ言葉をくれたのでした。
おたがいさまだ。
誰かと何かを分かりあいたい。
真夏の12時半。
さっきまでの不安感は別の世界のことだったかのように、私はテラスで風に吹かれていました。
そして、
焼けそうなハンドルに落ちていた汗の玉粒を思い出していました。
慎重に車を扱ってくれたことが分かります。
梢さん
大丈夫?
いえいえ、心よ。心がね。ああいうことがあると、とてもショックでしょう。
気遣ってくれる佐々木利子さんに、「おたがいさま」の話をしました。
すると、急に、わっと利子さんが両手で顔を覆いました。
数秒間、そのまま伏せてパッと顔を上げた時、少し泣いていたことが分かりました。
そう。そう言ってくれたの。
どうして、私は英語をもっともっとちゃんと話せるようになりたいと思うのだろう。
最近は、トルコ語とロシア語を習得したいとさえ思う。
なぜか。
それはきっと、もっと人生で感動したいからだ。
誰かと何かを分かりあいたいからだ。
それが半分でも3割でも、良いのだ。
こんな風に、出会って、一緒に泣いたりしてみたいからだ。
よかったです。
ここに来て、よかったです。
そう答える私も、涙が出てきて仕方がなかった。